対話塾 in 名古屋 2011.0827 を終えて

前日朝の時点で申込者4名。定員の半数。

スタート時の参加者8名。定員の100%。  ← ミラクル(その1)

参加者の1名は会場のオーナー。今回のリーダーの願い。  ← ミラクル(その2)

15分遅れてスタート。スタートから、10分ほどは私の話を聞いていただく。

・対話とは。 ← 次回は必ず録音しておこう!(自省をこめて)

 

最初は自己紹介から。前列の4人に後ろを振り返って後列の人と向き合ってもらう。

1人2分 相手の知らない「私を」伝える。話し手と聞き手の役割を決めて。

     聞き手は無言で受け取る。役割を交代。

1人1分 先ほどの相手の言ったことで、自分の中に残っていることを伝える。

     聞き手は黙って受け取る。

1人1分 伝えてもらってどういう体験をしたかを、相手に伝える。

     役割を交代。

自己紹介をしてみてどんな体験だったかをお互いに自由に話す。約5分。

ここまで15分程。

はじめる前とここまで終えた今でどんな違いがあるか。

どんな体験をしている自分がいるのかを話してもらった。

 

私にとって初対面の2人の参加者が挙手して話してくれた。

Cさん「普段の仕事上の自己紹介ならスラスラ話せる自分がいるのに、胸のあたりがつまって、ちっともうまく話せなかった。でも、お腹のあたりは暖かくゆったりしている。ただ、胸のあたりにまるで何かが貯まっているようで、パンパンにふくらんでいるかのよう。針で刺したら泪と一緒にぶわーと中身がでそう。」

 

解説:言葉上では「うまくいかなかった」と表現しているし、小さな混乱が起きているが、実際に話す様子を見ていると、手が胸やお腹の上を行ったり来たりして、言葉と体の動きが一致していた。その様子を観察しながら、お話を丁寧に受け取っていくと、不快でなくて、期待を話しているのがよーく伝わってくる。そこから、初参加のこの人が心をオープンにして話してくれたことが、よく分かる。そもそも最初に手を挙げて不安を話す人はそう多くはない。なぜならば、無意識のうちにもうまくやりたいと思っている人が多いからだ。この「うまくやりたい」をもっと厳密に言えば、失敗して恥をかきたくないという深層心理から起きている。ところが、この人は自分がうまく出来なかったことを、ただ受け取りそれを言葉で「胸のあたりに何か詰まっている」と表現したその直後に、お腹のあたりには「落ち着き」があることに気づいてそちらも伝えてくれた。名古屋の初めての対話塾で、こんなにオープンな場ができた。 ←ミラクル(その3)

 

Aさん「相手の方にただ聞いてもらえるだけで、こんなに心が落ち着くのですね」

← ミラクル(その4)

ちなみに、このCさんは40代半ばの男性、相手は20代前半の女性。後になって分かるのだが、この男性、30年来持ち続けてきた自分のパターンから抜け出したくてやってきた。結果的に、月曜から職場で行うsmall but important 1st stepを自分で決めて帰って行った。 ←ミラクル(その5) そして、実行結果が楽しみだ。

 

しかも、一緒にきた奥さんが「このシェアを聞いただけで、今日この人をここへ連れて来た目的を達成できた」と最後のシェアで語ってくれた。 ←ミラクル(その6)

 

相手の名札に名前を入れる共同作業をした。

実はこのシンプルな表現は相手との親密感をさらに深めた。

その表現の多様さの背景にあるお互いのユニークさが、場を和ませた。

 

窓に貼った8枚のシートのうち重要な何枚かを、具体例を交えて解説した。

 主観 / 客観、五官、3人の立場、後に伝えたのが、言葉

 伝えなかったのが、意識レベル、表現、サイクル、時

 

言葉による説明だけで終わらせず、1人ひとりの実感につながるように、シンプルな行動の体験を問いかけるWorkをした。

 

自分のスピードが速くなったことがいったいどうして自分には分かったのだろうか?

具体的に体のどこが、どんな動きが、それを教えてくれたのだろうか?

この問いかけをさらにシンプルにして、「どうして分かる?」重ねても質問した。

 

実は、このこたえが出ようと出まいと、それほど重要ではない。

むしろ、きれいに頭でまとめたようなこたえは、あまり欲しくはない。

問いかけが、どれだけ相手の深層部(または潜在意識)にふか~く染み入ってくれるかの方がきれいな答えなんかよりも、ずーと大事だ。その場でこたえが言葉にならなくても、お風呂に入ったり、一晩寝て目覚めた時や、いわゆる「ふとした瞬間」に起こる自分の反応に気づいて欲しいものだ。反応の「応」という字の方の応え(=こたえ)を自分で受け取れるか否かが、自分を楽に変化させられるかの鍵だからだ。

 

スタートして約1時間15分で、休憩をとった。

この部屋(=場)の空気がパンパンだった。

空気の入れ替えと、水分補給と、気持ちを緩める談笑を15分して後半へ。

 

後半のはじめは、4人ずつ2組に別れて、今日のテーマである「すこやかさ」を対話したときに、「動」と「静」の美事に対象的2つの場が出現した。「動」のグループは、体感覚優先の表現の4名で、内2名は経験者だった。「静」のグループは聴覚優先の2名の初心者と体感覚優先の1名の経験者と、比較的バランスのとれた1名の経験者だった。「動」のグループは経験者が体感覚を爆発させるかのようにいきなりダイナミックな表現を行い、それに全体がリードされるかのようにグループの「場」が形成された。ちなみに、対話塾の場は1人ひとりの発散するエネルギー場の集合体ともいえるだろう。「静」のグループは、むしろ2人の初心者のペースに経験者が寄り添う形で場がつくられた様子だった。今こうして振り返って気づいた事だが,この2つの場の違いはあたかも陰と陽のエネルギーで、私が0磁場の役割をはたした感じがした。

 

「私にとって『すこやかさ』または『健康』とは何か?」

具体的に今私はどれだけ健康ですとか、慢性的な肩こりがあってあまり健康でないですとか、自分の健康状態を話すのではない。そもそも「自分にとって健康とは何ぞや?」をあらためて問いかけ、自分のからの反応を表現した。

(1)まずは言葉で。各2分

(2)つぎに無言のボディランゲージで。各1分。

(3)さらに、胸の奥から言葉と体で伝えた。そこへ3人が胸の奥からそれぞれの反応を伝え返した。各2分に3人から各1分ずつ。

(4)ここまでの体験を「色、形、大きさ」で自由に表現した。

(5)4の絵の中に入って、その場へどっぷりと浸かる、場の力の体験を各自でした。ポイントは一歩の動きと深い呼吸。

(6)5枚のシートを使って、無言で場を渡り歩く体験をした。

   どの場にも向き合う機会は非常に貴重だ。

   5つの場すべてを体験できた人がいれば、

   どこかには入りたくないという人もいた。その反応すらも大事にして欲しい。

   実習やワークを上手くやろうなんて最初から思わないこと。

   それはあなたのポテンシャルを実は奪うことにさえなる。

   失敗などない、そこには学びへつながるフィードバックしかない。

   言い換えると、失敗もOK、それが次へ活かせれば失敗ではなくなるから。

 

最後の15分のシェアが10分ほど長引いて、結果的に退出時刻が予定を30分延びてしまった。(改善点を要検討)

 

この体験をした後の、各参加者の思考と行動にどんな変化が起こるのだろうか。自分の変化を受け取ることはたいへん難しいと思うが、小さな変化を是非とも見逃さずに、自分と周囲の様子を観察して、見えた事、聞こえた事、感じた事を、言葉にしてみて欲しい(=言語化)。言語化してはじめて、その体験を自分がどのように認識しているかが分かるからだ。

 

終了後今回のまとめやく(リーダー)と参加者数名と私の家族とで夕食を共にした。熱田のうなぎが美味しかっただけでなく、こうして終えた対話塾への感想や体験をすぐに伺うことができることは私にとって有り難い体験です。また、家族とともに過ごす私の様子も見ていただけることも嬉しい出来事です。ちなみに今回の対話塾には参加しなかった友人夫婦もかけつけてくれて、私の娘の成長の姿を見てもらえました。

 

実はその後ファミレスでコーヒーを飲みながら、妻と1日を振り返りました。子供ははじめて食べる○○パフェに目がお星様になるほどの興奮ぶりでした(笑)

 

帰宅後に家の窓を開けながら、庭から流れてくる少しひんやりとした空気が、くたびれた体に心地よく、対話塾の4時間や夕食の談話を思い出しながら熱い湯船に浸かると、往復150kmの自動車の移動の疲れが、お湯に溶けていくよう。

 

やっぱり、日帰りはちょっときついかな。

4時間ではあの内容の深さはちょっと詰め込み過ぎかな。

 

以前なら、きっとこういう思いが私の頭の大半を占めたかもしれない。

もちろん、こうして言語化できるのですから、その思いがゼロになったわけではない。しかし、こういう思いもこうして表現できるくらいに、自分が自分のやりたいことをやりたいだけやらせてあげられた1日だったことが確認できた。(感謝!)

 

こういう日々を重ねていくことが、今の私のこれからの行く先を、自分で照らしていくことになることを私の中の私は知っている。「未来に道はない。振り返った過去には自分の一本の道が見える。」その道を造って来たのはまぎれもない自分自身です。そこに出会った人々との関係の結果、今の私がある。

 

再び未来へ目をむけましょう。見るのではなく、右と左の目をあなたの前に向けます。目線は少し斜め上。そこにある見えないスクリーンに「自分がなりたい自分の姿」を思いっきり好きなだけ表現する習慣をつけませんか。周りに存在するパートナーたち。家族や同僚やあの仲間たち。さらに背中に感じる人々の存在。今は亡きあの人たち、もう2度と会わないあの人たちとも、そこには存在感として受け取る事ができます。

 

最後に意識をこの地球に広げてみます。

私にとっては自分が大きな木になって、自分の根が地面をどんどん深く広がっていき、やがてこの星を覆い尽くすくらいになる。そんなイメージです。あなたはどうですか。

 

宇宙にぽっかりと星が浮いて見えます。

その星には一本の巨木が生えています。ぷかりぷかりと宇宙を漂っています。

 

ぷかりぷかり。

何の音もなく。

いや、耳を澄ませてみたら。

遠くに、子どもたちの笑い声が響き渡っている。