ついたち(9月)

1日(=ついたち)は私にとって特別な日です。

毎月ついたちに「何か」が起こります。

そして私自身にとって深い気づきとなります。

 

かれこれ6年ほど続いています。

何が起きたかをすべて記録してはいませんが、

たとえば2009年の7月1日は、私の根を生やしてもらった日です。

 

だから、ついたちが近づくと私の中の一部分は、なんとなく、ふわふわした感じ。

不安定というよりも期待に揺れます(笑)。

どうしてこんな不思議な変化がついたちに重なるのだろう。

そうずっと思っていたら。

 

あるとき知人から「一日は神様の日だからね!」

そうサラッと言われた事がありました。

その言葉になんだか妙に私は納得してしまいました。

 

でも、神様と言っても私は宗教を持ちません。

「もしも神という存在があるならば、それは私の心の中かな〜」

そんなふうに思うくらいです。

 

 

昨夜から降り続いているのでしょうか、今朝もしとりしとりと雨音が聞こえます。

「パラパラパラー」と小雨が風に飛ばされ屋根に当たる音がします。

「リリリー」「キッ、キッ、キッ」という虫の声。

「グェッ、グェッ、グェッ」と遠くから聞こえるのはカエルでしょうか。

 

草が伸び放題の庭ですが、いろんな自然の音を楽しませてくれます。

そんな時、一瞬私は音の中に体を浸らせてみます。

  ゆらーり  ゆらーり

    ゆらーり  ゆらーり

すると、それぞれの命のリズムで見えない空気を揺らしているのが伝わります。

 

ふと、昨晩見た映像の、ある言葉を思い出しました。

「旅先でたくさんスケッチをするが、

  見たものをそのまま描くのではなく、自分の今の思いとともに表現する。」

 

とっさに私は思いました。『観察とはまさにこのためにあるのだなと』

 

今ではこの人は世界の大御所クリエイターです。

若い頃からずっと、自分の目を通してインプットした「何か」を、

強いパブリックマインドのメッセージを乗せて再映像化して、

観客へ伝え続けて来たのだなとようやく納得しました。

 

作品を通して多くの人々が受け取るメッセージ。

そのゆるがない根幹の源は、この『観察の活用』にあったようです。

 

観察は目的をともなう情報収集です。

なんとなく眺めているのではありません。

ただし、心には何らかのフィルターがかかっていて、

ありのままをとらえることは至難の技です。

 

かく言う私も「ありのままを受け取る」訓練をかれこれ20年近く続けてきました。

「判断せずにありのままをとらえること」

何度となくこうお伝えしています。

 

 

観察して得た情報をに自分の思いを乗せて伝え返す。

つまりアウトプットすることで、観察の本来の目的の完成があるのです。

このことに気づきました。

 

キーワードは、パブリックマインドです。

ここにはもちろん、自分も周囲の人も含まれます。

そして、さらに身も知らぬ人々の心もが含まれている。そんな心の状態のことです。

 

「自分さえよければ」から「私のお陰です」までが小我なら、こちらは大我です。

大我には大きな愛が存在します。その愛の深さがぜんぜん違うようです。

傍から見たら犠牲に思えるような行為も、大いなる愛の力に支えられています。

 

観察力をなぜ鍛えるのか?

この問いかけに対する新たなこたえを発見しました。

大我を経験するため。大いなる愛の存在を識るため。

 

大御所と比べたら、凡人の私たちは、ちゃんと目を使っていないのかもしれません。

観察という言葉の意味は知っていても、それを一度も実行していなかった。

少なくともこのレベルでは。

 

  『真の芸術家の仕事は、

     多くの人々の心のキャンパスを彩り心を潤おすこと。』

 

     そんな言葉が降りて来ました。

 

 

 

 

ここまで記して、ふと想い出したことがあります。

 

マスターレベルを修了し延べ1000名以上の方へその体験を共有し終えた頃でした。

 

次のレベルがARTの領域であることを識りましたた。

 

以来、無意識にも問いかけ続けて来ました。

 

「自分のアイデンティティに「アーティスト」が加わるとしたら・・・」

 

「それに相応しい人はどんな人だろうか・・・」

 

当時、そんなふうに新しい目標が決まり、それはまるで、

 

富士山からエベレストを目指すような、私にとっては高峰の目標でした。

 

   なんと、ちょうど6年前のことでした。

 

毎月ついたちに遭遇するあの不可思議なメッセージ。

 

その生みの親は実は私自身だったのかもしれません。

 

『出元はここだったのか〜』と、はじめてわかりました。