What can science do, and cannot !

1973年11月16日に打ち上げられたスカイラブ4号へ乗り組んだ物理学者のエド・ギブソンは、立花隆氏のインタビューに対してこう応えている。

 

「(前略)科学にできることは、さまざまの事象がいかに生起するかを説明することだけだ。そして説明というのは、実はあるレベルの無知を別のレベルの無知に置き換えることでしかない。」  P.303

 

この文書は私にとってまさに天からのお墨付きだった。

それは自分が繰り返して問いかけてきた最も大切な質問との関連からだ。

それは、「どうして分かるの?」という質問。(英語ではHow do you know?)

 

たとえば、私たちは「分かった」という言葉を使います。これに対して、

「そもそも自分が分かったとどうしてあなたに分かるの?」という質問になります。

さらに、この質問は人や物事に対する自分の認識過程を尋ねる問いかけです。

 

物事の認識過程は、自分の判断や意味付けがどこから来ているか教えてくれます。

複合的な観点から判断が求められるときや、対処した経験のない未曾有の出来事に間髪を入れずに対応しなければならないときにも、最適な結果へ到達する技法です。

 

さらに、エド・ギブスンの言葉は続きます。

 

「たとえば、ある現象がなぜ起こるかを物質レベルで説明する。さらにそれはいかにしてと問われたときに分子レベルの話しが出てくる。さらに問いが重ねられると、今度は原子レベルの説明がなされ、次は素粒子レベルの説明がなされる。その先はまだ誰も説明できない。現代物理学はこのレベルでは無知なのだ。」

 

「科学はいつも『なぜ』という問いかけを『いかにして』に置きかえて、説明をひねりだしてきた。根源的な『なぜ』、存在論的な『なぜ』に、科学は答えることができない。科学はさまざまの法則を発見したと称する。

しかし、なぜその法則が成立するのかについては説明できない。なぜ宇宙は存在するのか。科学は答えられない。エネルギー不滅の法則はなぜ成立するのか。そもそもエネルギーなどというものがなぜ存在するようになったのか。物質とはそもそも何なのか。こういった問いに科学は何ひとつ答えられない。科学にできることは、ただものごとをよりよく定義することだけといってよいのではないか。科学の根本的限界はここにある。もう一つの限界は、知覚の問題だ。人間は外界をいかにして知るか。直接的には感覚器官という自己の持つセンサーを通して知る。自己の五感にふれないものでも、それを知覚できる外部センサーがあれば、その外部センサーを五感で読むことで間接的に知ることができる。そして、内部センサーにも、外部センサーにも引っかからないものは存在しないものとみなされてしまう。しかし、存在はしているが適当なセンサーがまだないというだけの理由で人間に知覚されていない存在はまだいくらもあるだろう。そういう存在は科学の対象外に置かれてしまう。(後略)」

 

『宇宙からの帰還』立花 隆、中央文庫、1985年初版、1994年第20版