下関での対話塾 その1

いきなりですが、開催後のお話からです。

 

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 参加したあなたは、どんな「はじめの一歩」を踏み出しましたか?

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 ★手元の記録にキーワードが残されています。

 

 「現場に行き聞く」        「晩にありがとうを3回言う」

 

 「朝その日の目標を決める」    「流しにあるものを洗う」

 

 「食前に白湯を一杯飲む」     「どんなことも生かす意識で動く」

 

 「ホウキがけと雑巾がけをする」  「左手のスイッチを動かす」

 

 「目的をもって対話する」  

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 それぞれに動いてみて、どんな体験だったでしょうか?

 もしもまだ動いていない場合、止めているのは何ですか?

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対話塾では、シンプルなコミュニケーションである対話を通じて、自己

に向き合う体験を重ねます。問いかけに対する自分の反応を体験し表現

することで、個々の独特な認識構造を自覚するのです。そこには、頭・

胸・肚という3カ所での対話を体験する可能性があります。

 

 

対話を受け取ることに注力するのは、受容力を拡げることで、潜在意識の

力も借りて前に進めるからです。でも、はじめの一歩を踏み出さないと、

大きな変化や違いやミラクルは起きません。目標の設定の重要性と難しさ

がそこにあり1人ひとりに鍛錬が求められます。逆に言えば、適切な最初

の行動を行えば、頑張らずにも未来は自分色に染まりはじめるのです。

 

 

 

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対話塾から10日程の間に、参加者の数名から興味深い言葉が届きました。

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 ★何故だか引き寄せている気がする。

 

 ★不思議と(適切な)人に出会うんです。

 

 ★必然だった気がする。

 

この言葉を私は、各自が自分とつながったエビデンスととらえます。

つまり自分のテンポで動きだしている証拠でしょう。そのきっかけは、

言動の微妙で繊細な違いです。メールや電話の言葉の微細な変化です。

その向こうに見えてくるのは、アイデンティティの変容です。つまり、

自分に対する認識が変わり、思考が変わり、行動が変わるので、結果

として目の前に展開される出来事が、微妙に/大きく変わります。

 

対話塾の中で、すでに数々の変容は起きていました。特に2日間で行う

対話塾では、初日の変化が2日目に歴然と表されるので、あの場を見守

りながら進行する役割の私には、大きな愛の溢れる感動の時間です。

 

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 たとえば、ある参加者の変容を私はこんなふうに体験しました。

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下関の対話塾の初日、はじまりの時のAさんは、直径3mm位の透明な

ワイヤーで、上半身(特に頭)をぐるぐる巻きにされていたみたいだった。

聞いているだけで苦しそうな表情に見えて私は「大丈夫?」という自分

の内定会話を聞いていたことを思い出します。


午後になると、Bさんとのセッションで、「頭がスッキリしたんです」

と言うAさんの言葉のとおり、頭の周りの空気の色が確かに薄く見える

位に、スッキリした様子が私にも見えて伝わりました。

 

普通に立っている時の姿勢が変わり、体が曲がらずに天から吊るされた

ように、力みのない軽快さが感じられました。Aさんの言葉が疑いから、

確信に変わっていました。単なるポジティブな表現だけからでなくて、

語尾の言い切りや、話すときの目線等から、私が認識したことです。

 

私は『対話は言葉に対する心と体の反応のやりとり』と定義しますが、

この「言葉」は非言語の表現と言語の両方の表現を指していることを、

対話塾で説明しています。

 

Aさんの変化を如実に教えてくれたのは、実は無言の非言語の表現です。

大げさなジェスチャーでなく、呼吸や目線等の微細な変化をよ〜く観察

して、話し手の意識がどのあたりにあるのか、どのレベルにあるのか、

受け取ることから対話はグーンと深まりました。

 

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  対 話 塾 の 秘 密 それはどこにあるのか?

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実は、秘密のすべてはこたえと同様に参加者の中にあります。ただし、

当の本人は、そのことに気づいていないのです。つまり、意識が向いて

いない事へ、意識を向ける場なのです。そこでの私の役目は、内容に

意見するのでなく、触媒のごとくそこに起きた化学変化に寄り添います。

そのはじまりは、相手を受け取ることからです。ただし、相手は2人。

 

「受け取る」と言葉ではシンプルですが、どこまでどんなレベルで誰を

受け取るかによって、場合によっては非常に深い意味で試されます。

そこに成長と喜びを覚えないと、この仕事は続けられないと思います。

 

参加する皆様に伝えることですが、私が答えを教える人ではありません。

本人が答えに気づいたときに、想像を超えた違いが起こります。それを、

いかに生かしていくかで、日常にミラクルが起こりはじめます。あとは、

それを習慣化させることだけです。鍛錬の意味はそこにあります。

 

自分のペースで学ばないと結果的に、大きなものを逸します。どこまで

学び続けるかは当人にしか分かりません。結果的には自分を好きになる

ことでもあります。そしてそれは、時に大きなチャレンジです。しかし、

独りではなく、共に学ぶ仲間と造る「場の力」もいただき、自分を高め

ていくことが、いつからでも可能です。