お彼岸の意味 善光寺へのお参り

水輪で行なう『心の対話塾』の前日に長野入りした私は、今回お手伝いをしていただけることになったKさんとNさんと一緒に、駅前からバスで善光寺へ向かいました。以下に説明されているようなことは一切知らずに、何かに引かれるかのように。

 

お天気が良くて汗ばむほどで、平日にしては参道もにぎやかでした。和の雰囲気を満喫しながら歩みを進めます。

 

写真の巨大な門をくぐろうとすると、これまた大きい二体の仁王様がにらんで迎えてくれました。

 

本堂でお参りをした後で、その奥にも行けることを知って、何の迷いもなく、入場券を購入して進み入りました。

 

 

靴を脱いで畳敷の大広間のようなスペースを歩いて、社殿へ向き合うと、何やら中で動きがあって、聞く所によると、これから正午のお勤めがはじまるとのことでした。

 

「毎朝のお勤め以外にこの御簾は開かれることはないのですが、正午のお勤めの時にだけ見ることができます。お客さんラッキーですね。」そう言われて、悪い気がするはずもなく、やがてはじまった太鼓や声明ををありがたく拝見させていただきました。

 

さらにお戒壇巡りをしました。

内々陣の奥、右側を進むとお戒壇巡りの入口があります。お戒壇巡りとは、瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を巡り、中程に懸かる「極楽の錠前」に触れることで、錠前の真上におられる秘仏の御本尊様と結縁を果たし、往生の際にお迎えに来ていただけるという約束をいただく道場です。(善光寺公式HPより)

 

ここは一見の価値ありです。と言っても、完全なる闇の世界なので何も見えませんでした。これほどの闇はなかなかありません。私は中で不思議な驚怖の思いを体験したり、前の人にぶつかり現世にゆり戻されたりして、「極楽の錠前」とやらにもしっかりタッチしてきました。なんだかこれもラッキーな体験でした。

 

絶対秘仏であり生身の如来様

善光寺の御本尊様は、一光三尊阿弥陀如来像です。中央に阿弥陀如来、向かって右側に観音菩薩、左側に勢至菩薩が一つの光背の中にお立ちになっています。しかし、御本尊様は絶対秘仏で、今日そのお姿を拝むことはできません。(善光寺公式HPより)日の出とともに本堂で始まる「お朝事(あさじ)」は、善光寺全山の僧侶が出仕して勤める厳かな法要で、365日欠かさず行われているそうです。

 

長野に行く=善光寺をお参りする なぜ?

 まるで方程式のようにこのお参りは決まっていたみたいです。

 

帰ってきてからしったのですが、御本尊様は古来より「生身の如来様」といわれて、人肌のぬくもりを持ち、人と語らい、その眉間の白毫から智恵の光明を発しているというのです。人々と触れあう如来様として信仰を集めてきたそうです。

 

これで今回善光寺を訪れた理由が何となく分かった気がします。

 

「人肌のぬくもりを持ち、人と語らう・・・」

 

この在り方に私もあやかり日々忘れぬように努めようと思います。

 

ふと思い出したのは、これってまさにフィリピン人だって事です。